さいあくから再び

 

「また、作左殿が俺の事を平八郎って、呼ぶんだぜ」

 とある戦が終わり城に戻った後の事。どんな戦だったかは昔の話なので忘れた。兜を脱ぎ、同僚である本多平八郎忠勝の言葉に耳を傾ける。

「まだ良いじゃないか。俺なんて数正殿や忠世殿に亀丸と呼ばれている。鍋之助って呼ばわれるより良いだろう」

 鍋之助という名前は忠勝が元服する前の名前。亀丸と呼ばれるよりはまだ小平太と呼ばれた方がマシだ。

「それもそうだけどな。こうなったらもっと手柄を立てて認めてもらわなければな」

 まだお互いそんなに手柄を立てていない。

「それは俺も同じだ。お前には負けないからな、忠勝」

「やれるものならやってみな」

 雑談しながら歩いている時、目の前に子供が立っていた。黒い髪を結び、上品な着物を着ている。どこかの姫だろうか。見覚えがなかった。だが、忠勝は見覚えがあるようだ。

「よう。こんなところに来るとはな」

「知り合いか?忠勝」

「お前は会うのは初めてか?」

 女の子はこちらをじっと見つめている。物珍しそうに見ている。甲冑を身につけた男が珍しいのだろう。

「ああ・・・おい、女がこんなところに来るのは場違いだ。大人しく城へ帰れ」

 ここは血の匂いを染みている兵達で溢れている。俺や忠勝も血の匂いを染みこんでしまっている。女は大人しく城にいれば良い。女の子はこちらを睨む。何か機嫌を損ねてしまったのだろう。だが、女がここに来る事は場違いだ。

「康政、こいつは・・・」

 何故か笑いを堪えながら忠勝が言おうとした時、腹が急に痛くなり抱え込む。女の子が腹を殴ったのだ。

「男だ」

 ドッと笑い出す友を涙目で視線を移す俺。

「へ?」

「こいつの名前は井伊万千代だ」

 万千代・・・男だったのか。口をパクパクしながら万千代を見つめる。
 不機嫌そうに、

「俺は男だ」

 はっきりとした口調で言った。これが俺と万千代・・・後の井伊直政との最悪な出会いだった。

 

 

 

 

 あれから数年。ようやく周りが俺の事を康政と呼ぶようになった。身分も上がり、屋敷を持ち、従う兵も増えていた。兵達に後処理を任せ、主君、徳川家康に状況を報告した。
 ここからしばらくは俺の自由時間。まずは風呂に入る。着替えているとはいえ、身体は汗でぬれていた。風呂に入った後は、新しく手に入れた兵法書を読む。それが俺の最高な時間でもある。

「よし。一番風呂とはついているな」

 風呂は共同である。そこまで大きい勢力ではないからだ。織田と同盟しているから保たれているようなものだ。でなければ、武田に滅ぼされている可能性が高い。織田との同盟は破る訳にはいかない。少なくとも今川に仕えている頃よりは良い方だ。
 服を着替える場所に置き、風呂につかる。戦が終わった後の風呂は格別だ。疲れがほぐれる。

「温泉なら格別だが、贅沢言っても仕方がない」

「先を越されたか」

 聞き覚えのある低い声。悔しがっている。

「悪いな、忠勝。今日は俺が先だ」

 子供の様に満足する。隣りにつかる忠勝。

「次は俺が先だ」

 一番風呂を争うとは子供らしい。忠勝とは同年代の為、色々競い合う。唯一康政が敵わないと思うものは、武功だ。武に関しては忠勝が強い。康政は認めていた。だから兵法を学び、誰よりも冷静に戦況を見極めたい。忠勝と・・・奴に負けたくない。

「最近は幼名で呼ばれなくなったな」

 忠勝も気にしていたようだ。周りに幼名で呼ばれる事を。

「それだけ、武勇をあげているという事なのだろう。俺も呼ばれなくなったがな」

「ふっ。もう小僧ではないからな。お前の戦は派手さがないが、確実に勝利をもたらす。被害は最低限に抑えている」

 忠勝は戦だと敵に啖呵を切る。周りを見極めていないように見えるが、見極めている。単騎突入する時もあるが、敵兵を簡単に薙ぎ倒す。中々出来る事ではない。

「俺は戦では見極める事しか考えていないからな。心を無にすると読めやすい」

「俺とお前がいれば、徳川は安泰だな」

 競い合っているが仲は悪くない。お互い親友だと思っている。康政の指示なら忠勝はしたがう。

「誰か入って来たな」

 足音が聞こえてくる。身上の者ならば湯船から出るしかない。二人は礼儀を弁えている。

「誰かと思ったら貴殿達か」

 嫌な奴が入ってきた。先程までの心地良さが台無しになった。康政が苦手な存在。かつて、女子だと勘違いしてしまった男。最近、ようやく元服し戦場に出る事を許されたらしい。この男―井伊直政に関しては嫌な思い出しか残らない為、興味を持たないようにしていた。

「直政か、こっちに来たらどうだ」

 無言で入ってくる。一応二人は直政より身分が高い為、距離を置いて湯につかる。

「また、傷が出来ているようだな」

 よく見ると刀傷が無数に出来ている。

「俺は貴殿等と違って戦が下手だからな」

 機嫌悪そうに答える。馬鹿にしていると思い込んでいるようだ。冗談を言うな。初陣で敵将を何人も討ち取った奴がよく言う。

「忠勝はともかく俺はお前より下手なのだがな」

「康政」

 こちらも語尾を強く言う。こいつに関しては腹が立つ。あの頃を思い出すからだ。

「どうやら邪魔のようだな」

 入ったばかりなのに湯船から出る。身体をじっと見つめる。

「何か言いたい事でも」

「いや、ない」

「失礼する」

 不快そうに出て行った。

「康政、お前少しは直政と仲良くしたらどうだ?」

 普段は康政が止め役なのだが、直政に関しては立場が逆になる。直政の前では心を無にする事が出来ない。

「康政?」

 忠勝が声をかけても反応がない。立ち去る直政を見つめているようだ。

「な、なんでもないぞ」

「変な奴だ」

 首を傾げる忠勝。康政は苦手な存在がいなくなって精々したと思っているように見える。今回は、違っていた。

「先にあがるからな」

 忠勝も湯船から出て行った。

「綺麗だったな」

 誰もいなくなった浴場で一人呟く。苦手な存在の身体を間近で見た。無駄な肉がなく、傷があるが、その裸体が美しいと思った。

「いかん。何故、俺が奴を美しいだなどと・・・あいつは男ではないか」

 湯煙の中、一人頭を抱える。

「なんなのだ・・・可笑しすぎる」

 無数の足跡が聞こえてきた。これ以上ここにいれば情けない姿を見せてしまうかもしれない。慌てて湯船から出て、身体を拭き、着物を身につけ素早く浴場を後にした。

「何で、奴の事を・・・」

 身体が綺麗だから、気になるとは可笑しすぎる。顔が赤くなっていた。きっと湯冷めしたのだろう。そうに違いない、康政はそう思った。




あとがき
昔は直政の事を女の子だと勘違いしている榊原。今は・・・てな感じです。

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